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袖振り合うも多少の縁
縁は異なもの味なものという。
私はこの世の中の物事は全てご縁で成り立っていると思っている。縁には良縁も悪縁もある。望んで得られる縁もあれば、望まれない縁もある。
出会いは全て縁があるから、出会うのであって、なければ一生他人のまま、見知らぬ人のままで終わるのである。
様々な人との縁が重なって今がある。今まで出会い、関わりがあった人達から、決して少なくはない影響を受けている。
人それぞれに自我がある。けれど、その自我が形成されるまでに、いったいどれだけの人からの影響を受けてきたのだろうか。
自我は当然100%自分のオリジナルではなく、様々な人の影響が複雑にミックスされてできあがった成果である。
普通、母親の胎内から生まれて、私という個が自身で認識するまで、いくらかの時間がかかる。三つ子の魂百までというけれど、三歳までの間に、どのように育て方や、しつけ方が、その子供が成長する過程にどれだけの影響を与えるのか、伺いしれない。
育て方、しつけ方はもちろんその家庭によって違うし、方法も署l署Fである。マニュアル本が出回っているようであるが、人それぞれだし、本の内容が100%正しいとは限らない。もちろん学ぶべき教えもあるだろう。
どんな親のもとに生まれてくるかも、また縁である。一般的に見て良家とされる家に生まれるかもしれない。ものすごく貧乏な家庭に生まれるかもしれない。産まれてくる子供は親を選べないけれど、でもそれもその人の縁の一言に尽きると思う。
袖振り合うも多少の縁という。道ですれ違うだけの人でも、もしかしたら何らかの縁を自分と持っているかもしれない。大小問わず様々な人と繋がっているといったようなことわざであったろうと思う。
道行く人々、信号待ちで一緒になる人、同じ電車で乗り合わせる人、バスでたまたま隣り合わせになった人。もう会わないかもしれないが、もしかしたら、またどこかで会うかもしれない。
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